しあわせを感じる秘訣

ブータン・チモン村への道のり

前回のブータンの記事は私が求めていたものとは違った方向にいってしまい、なにかものたりないものとなってしまいました。

あれから、この「ブータンが教えてくれたもの」を読んで、ああ、これだったんだ、しあわせなブータンの人たちの話を聞いて私も幸せを感じたい。そして、自分がしあわせを感じるのはどんなことかを知りたい、という思いがあったことに気づきました。

 

ブータンがおしえてくれたこと かわしまよう子 著

 

ブータンへ行く理由

著者のかわしまよう子さんは、現在沖縄に暮らしながら、雑草と呼ばれる草の魅力を伝える活動をしています。

幼い頃、草にこころ支えてもらったことから、ゴミの存在が気になり、ゴミの存在から,モノや生きものの命のことをおもうようになりました。

幼い頃,寂しい気持ちやつらく感じることを草に慰められることがあり、草が大好きになりました。そして、そのわきに捨てられたゴミが気になり,その行方がをしらべてみたました。すると、燃やしたごみの灰や、燃やせなかったものは砕けるだけ砕いて、海や山あいに埋められているという現実を知り、ショックをうけます。これじゃ、部屋のゴミ箱にゴミを捨てることと、道端に捨てることはそんなに変わらないじゃないか!と…
それから、なるべくゴミを少なくする暮らしをこころがけるようになりました。

モノはすべて、だいたいをたどると自然から生み出されたものでつくられている。つまり、すべてのモノは自然そのものなのだ、ということに気づくと、モノをゴミに変えたくないという気持ちがますます強くなりました。

しかし、日本で自然の立場を応援するようなことを言葉にすると変な人、という扱いをされてしまいます。だから、ブータンでの自然を思いやるエピソード「村に電気を通すために、生きものたちが棲む森の木をきらなくちゃいけないときに、『だったら、電気を通すのをやめよう』」を聞いた時、心底、ホッとしました。そして、いつの間にか慣れてしまった、人間優先の価値観から少し解放されたいと思いました。

また、震災後に原発で電気を賄うことのリスクを知っていても、暮らし方を方を変えるのは難しいことから、自分の草花の仕事の目的が分からなくなり、やる気を失っていました。そんな行方不明になった自分の心と電気の問題が浮き彫りになった私たちの暮らしかたに、いいヒントを教えてもらえるんじゃないかという思いからブータン行を決めたそうです。

2012年著者が訪れたのは、近代化の波が押し寄せつつあるブータン東部のチモン村、そこはまだ観光化されておらず、自給自足で暮らしているところです。政府の政策により、当時電気と道路がいっぺんに繋がろうとしていました。道路と電気は、そこに住む人々が何の変化を求めなくても、暮らしぶりを変えることになります。その恩恵をうまく利用して発展していくか、現金収入を求めるものが村を離れ、過疎化に向かうか、そんな局面にせまられていました。

 

ブータン・チモン村をめざして

このツアーの案内をしてくれたのは、チモン村を故郷とするぺマさん。
ブータンへは、那覇空港から福岡経由でバンコクに行きそこで一泊しインドのグワハティ空港に行ジープで国境を越え入国、そこから大型バスに乗り換えて北上する。
その道のりは、自然のままの雄大な風景を眺められるという思惑とは違いガタガタ道に揺られ、道路工事が繰り広げられている現場を目の当たりにするものでした。

国境からいくつもの谷や峠を越えて、途中ジープに乗り換え
日本から飛び立って3日目、ジープは停まり、チモン村へはここから歩いて向かわなければなりません。45リットルの大きなリュックを背負い、脱いだジャケットを抱え、首にはカメラをぶらさげて、、

降りた車の前方には、チモン村の近隣村人たち10人ほどが並んで待っていました。
その前には長いゴザが敷かれ、歓迎のおもてなしをうけました。邪気を払うと言われるヨモギが静かに燃やされている、その煙を見ながらバンチャンという酒、ゆで卵、みかんをいただきました。

そのおもてなしは、ほんのご挨拶ていどに終わり、斜面にのびる小径を村人の後につづいて一歩ずつ進んでいくと、村のお寺チモン・ラカンに到着。

境内の中に入ると、全員正装である民族衣装のゴに身を包んだ男性40人ほどが、ズラリと一列に並んでいました。ひとりひとり目を合わせながら「クズザンポーラ(こんにちは)」と挨拶をしていきました。
そして、おもてなし第2弾がはじまりました。
ブータン東部のお酒アラ、さっきよりたくさんのゆで卵、みかん、バナナ、落花生が振舞われ、一息つくひまもなくブータン料理がぎっしり詰まったお弁当箱がはこばれてきました。
その後、ペマさんの呼びかけで、チモン・ラカンを案内してもらいました。
お寺で手を合わせ,マニ車(経分を印刷した紙をおさめた回転体で、これを一回転させるとそのお経を一読したことになると言われているもの)を廻すと、再び出発の合図がありました。

 

マニ車

 

チモン村はさらに、斜面を下り、谷を下りきったところにあるといいます。谷の底はというと、、、首を伸ばして森に包まれていて何も見えません。
チモン村へつづく道は村人たちが長い間踏みしめてきたことを感じる硬い土の道でした。オオバコ、ヘビイチゴイヌタデの雑草をみつけました。
村人と一緒にチモン村へと歩きます。村の誰かが大声をあげると笑いが起こりました。言葉がわからないので、なんであんなに楽しそうに笑っているのかわからないのだけど、その笑いが伝染して、一列になって歩いているみんなが目を細めて笑っていました。
笑いは、どんな人種のどんな年齢のひとにも通じる、世界共通の言語。悲しみも不安も吹き飛ばし、平和な未来とまっすぐに繋がる力をもっています。

 

次回につづきます。
仮の題 チモン村の人々が「幸せを感じるとき」です。