「始まりの木」 夏川草介 を読んで

つるひめさんの記事より興味をひかれて読んでみました。

つるひめさんの記事を読むと、この本がとても魅力的であることがわかります。

 

 

『始まりの木』(夏川草介・著)~これからは民俗学の出番 - つるひめの日記
 

 

日本人は日本人についてもっと学ばなければならない。遠く高く跳躍するためには確固たる足場がなければならぬように、世界を知ろうとするならば、我々はまず足下の日本について知らなければならない。民俗学はそのための学問である

この国には、この国特有の景色がある。その地に足をはこばなければわからない、不可思議で理屈の通らぬ、怪しささえ秘めた景色だ。その景色と向き合い、何が起こっているかをただ見るだけではなく感じ取らなければければならない。

 

第1話 「寄り道」

遠野と弘前のことが書かれています。その地を訪れたときに見た、感じた風景が蘇り、しばし思い出に浸ってしまいました。

千佳が感動した 柳田邦夫遠野物語」の最初の一文

「遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西半分、山々にて取り囲まれ荒れた平地なり」

日の光をとおさないほど鬱蒼(うっそう)と茂る森、木々の影を縫うように駆けて行く数頭の鹿と、倒木に腰をおろして猟銃に弾を込める老人。森を抜けた先には茅(かや)で葺(ふ)いた民家が点在し、古老の屋敷の傍らには子供数人がてをつないでも抱えきれないほどの巨木がてんをおおうように佇立(ちょりつ)している。

何か忘れていた記憶を呼び覚まされたような不思議な感覚であった。

私が遠野を最初に訪れたのは車の免許取りたての頃、友人二人とドライブにでかけましたが、現在のように観光整備もされておらず、盛岡の手前から遠野に抜ける道は長く、光が差さない木々が茂っており、倒木もあらゆるところにありさびしいところで、いつこの森から抜け出せるのだろうと不安になりながら、走っていたのを思い出しました。

遠野は一昔前のような風景で、茅葺屋根の曲がり屋から昔の生活が想像されます。

遠野は不思議な感覚がする、いかにも民話が生まれそうなそんなところでした。

 

弘前

弘前城、満々と水を湛えた堀とその先の石垣に鬱蒼と茂る森。
午後の陽光を受けて、水と緑とが鮮やかな晩夏の色彩を乱舞させている。

岩木山
ふいに社内が明るくなったように感じられたのは、タクシーが市街地を抜け広々とした田園地帯に入ったからだ。

千佳は、あっと小さく声を上げた。広大なリンゴ畑のかなたに見事な裾野を広げた美しい山をみたのだ。それが津軽富士の名で親しまれる岩木山である。

岩木山に登れば、存外すぐそばに洋々たる日本海が見下ろせる。ここは特別な土地なのだ。

 

私が弘前を訪れたのは、高校生の時、何十年も前のことですがあの時の感動が蘇ってきました。弘前城の蓮が広がる堀、上品な街並み、弘前ねぷたの心地いいいお囃子の音、リンゴ畑で見た空の色、光、空気そして、眼下に広がる海と彼方に続く陸地との境界線、今でもあの感動、美しい!気持ちがいい!地図をみているみたい!という感覚が忘れなれない特別な地なのです。

 

第3話 「始まりの木」

伊那谷の大柊は実際にあります。

中央道建設により、大柊は伐採される運命にありましたが人々の願いにより、伐採を免れ現在の中道の中央付近から東へ30メートル移植されました。

いまもなおここに住む小林家のご神木として大切にされており、毎年、小林家一族が集まり、木の無事と一族の安泰を祈ってお祭りを続けています。

日本という国の神との付き合い方が、著者の夏川草介さんがこの地を訪れた時のエピソードと小林家の源氏さんと和子さんの言葉より、古屋と老住職の言葉がよりリアルに感じられました。

 

小説に登場する民俗学者の古屋の言葉

・「神は人の心を灯す灯台だ」もとより灯台が船の航路をきめてくれるわけでもないし、晴れた昼間の航海なら灯台に頼ることもない。しかし海が荒れ、船が傷ついた夜には、そのささやかな灯が、休むべき港の在処を教えてくれる。たとえ目には見えなくても、人とともにあり、人とともに暮らす身近な存在だ。

この神は、人を導くこともあれば、ときに人を迷わせたり、人と争ったり、人を傷つけることさえある。かかる不可思議な神々とともに生きていると感じればこそ、この国の人々は、聖書も十戒もひつようとしないまま、道徳心や倫理観を育んでこられたのだと私は考えている。

・少なくてもこの国の人々は、古代から路傍の巨石や森の大樹をはじめとして、山や滝や海や島や、あらゆるものに手をあわせてきたのである。

・この世界には理屈の通らない不思議な出来事がたくさんある。科学や論理では捉えきれない物事が確かに存在する。そういった事柄を、奇跡という人もいれば運命とと呼ぶ人もいる。超常現象という言葉で説明する者もあれば、「神」と名付ける者もある。名前はなんでもよい。なんでもよいが、目に見えること、理屈の通ることだけが真実ではない。

 

老住職のことば

この国の神様との付き合い方は信じるかどうかは大きな問題じゃない。ただ感じるかどうかなんだ。

大きな岩を見たらありがたいと思って手を合わせる。立派な木を見たら胸を打たれて頭を下げる。滝つぼにうたれるし、海に沈む美しい夕日を見て感動する。誰かが教えたわけでもなく、みんなそうすべきだと感じただけの話さ。

 

東京は立派な町だし、これからももっと大きくなるだろう。けれど、世界はそんなものよりはるかに大きいし世界より‥‥‥‥

ふいに住職は胸に親指を当てて、

心の方もっと大きい

 

日本という国の神との付き合い方が、著者の夏川草介さんが伊那谷の大柊を訪れた時のエピソードと小林家の源氏さんと和子さんのお話から、古屋と老住職の言葉がよりリアルに感じられました。

 

小説丸 上橋菜穂子×夏川草介の対談より

夏川

その家のおじいさんが畑仕事をしながら「俺の家族はみんな、ここにいるんだ」と不思議なことを言い出して。「じゃあ、おじいさんも死んだら、この樹に行くのか」と聞いたら「もちろんだ」と。僕にとってそれは、普通に生活している人から初めて聞いたリアルな『遠野物語』だったという感覚があって。そのわりには樹の下にビールの缶が無造作に捨ててあったりして、神様というより家族のひとりみたいな扱いなのかなと思ったんです。

上橋 

なぜかビールの缶が転がってるというのは、私がフィールドワークをしていた時、よく感じたことでした。物語で描こうとするならば、おじいさんはその樹をいかにも大切にしていて、樹の下にはチリひとつないと描いてしまいそうですが、リアルな現実は違う。100%理屈通りでないのが人間の感覚というものなんでしょうね。

 

朝の学舎・ウェブサイトより

小林源治さん 和子さん 

和子さん 

毎朝お参りしています。今日一日お願いしますとか、お父さんが病院に行ったので無事でありますようにとか…。後ろの方の根だけで頑張っているので、これからも頑張って私たちを見守ってほしいです。

源治さん 

「わしも歳を取ったなあ。だけど、何とか元気でおるで、これからも同じように手入れをつづけてくれよ」と大柊が言っているような気がします。「長生きするよう、頑張りなんよ」と声をかけてあげたいです。

 

夏川草介(なつかわ・そうすけ)
1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒。長野県で地域医療に従事。2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞してデビュー。同作はシリーズで2度映画化されベストセラーに。他の著書に『神様のカルテ 2』『神様のカルテ 3』『神様のカルテ 0』『本を守ろうとする猫の話』。 

 

上橋菜穂子(うえはし・なほこ)
東京都生まれ。1989年『精霊の木』で作家デビュー。川村学園女子大学特任教授。オーストラリアの先住民アボリジニを研究。著書に『精霊の守り人』から始まる「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、『獣の奏者』、本屋大賞を受賞した『鹿の王』など。2014年、国際アンデルセン賞受賞。