終の棲家? ~引っ越しが決まるまで~

昨年の6月24日、姉の誕生日、ラインでお誕生日おめでとうのメッセージをおくりました。

姉とは、母が亡くなった2年前から気持ちの行き違いがあり、疎遠になっていました。そのことを特に気に留めずにいたのですが、その日ふと、なんとなく思い立ち、一言だけのメッセージをおくったのです。

そうしたら、姉からありがとうの言葉と共に話があるから会えないかということ、何事かと思い急に不安になりました。兄の癌が再発したのか?それとも、、、、?

それでも、すぐに会って話すまでの気持ちに成れずにいたのですが、やはり気になります。

2週間後くらいにこちらから電話をして、「どうしたの?」と尋ねると、「会って話すから」ということだったのですが、「気になるから今言って」というと「一緒に住まない?」という提案でした。

姉は今一人暮らし、子供たちはみんな結婚して家を出て行っています。子供たちにはもう話してあるから。と言います。
人の生死にかかわることではなかったので、ホッとしましたが、その思いもよらない話に驚くばかりで、、、、。

その後、姉との仲は改善したのですが一応お断りしました。

でも、姉の気持ちは変わりませんでした。

姉の生活のこと、私の今後の生活のことをぐずぐず考えている日々が過ぎていきました。

私にできることはなにか、徐々に気持ちは姉と一緒の生活に傾いていったのですが決心がつきません。

 

 

そんななか、私は娘と2人暮らしをしているのですが、

今年に入り、重度のアトピーを抱え治療に専念していた娘がすこしずつ仕事をすることになりました。

また、当時の私の職場は小学校の敷地内にあるのですが、その小学校が来年度新築工事を開始するということで、敷地内にある駐車場は使用できなくなります。ということで自家用車通勤は不可、公共の交通機関を使わなければならなくなります。そうなると、通勤時間がとてもかかるようになります。

そんなことがあり、思い切って異動願いを出しました。その理由として、通勤時間のことと、遠くへの引っ越しをあげてしまいました。

すると館長から、「いつ引っ越しをするの?」と聞かれたので「春以降になると思います。」と答えてしました。「それでは、しかたがないわね。」との返事。

ということで、異動が決まり3月引き継ぎのため新しい職場に行くと、そこの館長にも「いつ引っ越し?」と聞かれたので、とっさに6月になります。と言ってしまいました。

もう、進めるしかなくなりました。

そんなこんなで、重い腰をあげて急に引っ越しの準備に取り掛かることになりました。

~次回に続く~

 

 

YOASOBI ツバメ

先日、児童館の行事で、YOASOBIのツバメのダンスを踊ることになりました。

少し前にNHKで放送されていたそうです。

私は子ども達が振付をゆっくり練習するときのピアノの伴奏を依頼されました。

しかし、行事の2週間ほど前に担当者が病気で休んでしましました。いつ出てこれるかわからない状態、

しかも、企画書も出ていないし当日の流れが全然決まっていませんでした。

そこで、急遽同僚を含め私たち3人は老体に鞭を打ってダンスの練習をはじめました。

ネットで調べて、映像を流しながら部分的にゆっくりの練習、曲も歌詞も知らないのに、踊らなきゃという思いからとにかく体を動かすことからはじめました。

行事の日の3日前に担当者本人から連絡が入り、具合が良くならないとのこと、結局担当者なしで決行することになりました。
それから3人で当日の流れ、役割分頭担を決め必死の練習がはじまりました。
でも勤務時間内に、十分に時間をとることができず、それぞれ家に帰ってからもスマホ片手に練習。
「振付は歌詞の意味からなってるんだね」と今更ながら納得するわたしたち。
いつも、頭から曲と振付が離れずぐるぐる回っている状態でした。

 

いよいよ、当日を迎えました。

私たちの主な役割分担は、それぞれ司会進行、伴奏、映像・音響にわかれておこないました。
流れは、通しの映像を流し、歌をうたい、ピアノの音に合わせてゆっくり部分練習、映像を流しながらの通しの練習です。

 

なんと、私たちの想像をはるかに超え、子ども達は楽しそうにスムーズに踊ることができたのです。すばらしー!

 

楽しかった!心が一つになったような気がした。という感想も子どもたちから聞くことができました。

 

ダンスもかわいかったけど、私は子ども達の歌声に感動しました。

 

ところで、

YOASOBIのツバメ

良い歌詞なのご覧ください。


www.youtube.com

 

「ツバメ」

 

詞・曲・編Ayase

 

煌めく水面の上を

夢中で風切り翔る

翼をはためかせて

あの街へ行こう

海を越えて

 

僕はそう小さなツバメ

辿り着いた街で触れた

楽しそうな人の声

悲しみに暮れる仲間の声

 

みんなそれぞれ違う暮らしの形

守りたくて気付かないうちに

傷つけあってしまうのはなぜ

同じ空の下で

 

僕らは色とりどりの命と

この場所で共に生きている

それぞれ人も草木も花も鳥も

肩寄せ合いながら

僕らは求めるものも

描いている未来も違うけれど

手と手を取り合えたなら

きっと笑い合える日が来るから

僕には今何ができるかな

 

誰かが手に入れた豊かさの裏で

帰る場所を奪われた仲間

本当は彼も寄り添い合って

生きていたいだけなのに

 

悲しい気持ちに飲み込まれて

心が黒く染まりかけても

許すことで認めることで

僕らは繋がり合える

 

僕らに今できること

それだけで全てが変わらなくたって

誰かの一日にほら

少しだけ鮮やかな彩を

輝く宝石だとか

金箔ではないけれど

こんな風に世界中が

ささやかな愛で溢れたなら

何かがほらかわるはずさ

同じ空の下でいつかきっと

それが小さな僕の大きな夢

「始まりの木」 夏川草介 を読んで

つるひめさんの記事より興味をひかれて読んでみました。

つるひめさんの記事を読むと、この本がとても魅力的であることがわかります。

 

 

『始まりの木』(夏川草介・著)~これからは民俗学の出番 - つるひめの日記
 

 

日本人は日本人についてもっと学ばなければならない。遠く高く跳躍するためには確固たる足場がなければならぬように、世界を知ろうとするならば、我々はまず足下の日本について知らなければならない。民俗学はそのための学問である

この国には、この国特有の景色がある。その地に足をはこばなければわからない、不可思議で理屈の通らぬ、怪しささえ秘めた景色だ。その景色と向き合い、何が起こっているかをただ見るだけではなく感じ取らなければければならない。

 

第1話 「寄り道」

遠野と弘前のことが書かれています。その地を訪れたときに見た、感じた風景が蘇り、しばし思い出に浸ってしまいました。

千佳が感動した 柳田邦夫遠野物語」の最初の一文

「遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西半分、山々にて取り囲まれ荒れた平地なり」

日の光をとおさないほど鬱蒼(うっそう)と茂る森、木々の影を縫うように駆けて行く数頭の鹿と、倒木に腰をおろして猟銃に弾を込める老人。森を抜けた先には茅(かや)で葺(ふ)いた民家が点在し、古老の屋敷の傍らには子供数人がてをつないでも抱えきれないほどの巨木がてんをおおうように佇立(ちょりつ)している。

何か忘れていた記憶を呼び覚まされたような不思議な感覚であった。

私が遠野を最初に訪れたのは車の免許取りたての頃、友人二人とドライブにでかけましたが、現在のように観光整備もされておらず、盛岡の手前から遠野に抜ける道は長く、光が差さない木々が茂っており、倒木もあらゆるところにありさびしいところで、いつこの森から抜け出せるのだろうと不安になりながら、走っていたのを思い出しました。

遠野は一昔前のような風景で、茅葺屋根の曲がり屋から昔の生活が想像されます。

遠野は不思議な感覚がする、いかにも民話が生まれそうなそんなところでした。

 

弘前

弘前城、満々と水を湛えた堀とその先の石垣に鬱蒼と茂る森。
午後の陽光を受けて、水と緑とが鮮やかな晩夏の色彩を乱舞させている。

岩木山
ふいに社内が明るくなったように感じられたのは、タクシーが市街地を抜け広々とした田園地帯に入ったからだ。

千佳は、あっと小さく声を上げた。広大なリンゴ畑のかなたに見事な裾野を広げた美しい山をみたのだ。それが津軽富士の名で親しまれる岩木山である。

岩木山に登れば、存外すぐそばに洋々たる日本海が見下ろせる。ここは特別な土地なのだ。

 

私が弘前を訪れたのは、高校生の時、何十年も前のことですがあの時の感動が蘇ってきました。弘前城の蓮が広がる堀、上品な街並み、弘前ねぷたの心地いいいお囃子の音、リンゴ畑で見た空の色、光、空気そして、眼下に広がる海と彼方に続く陸地との境界線、今でもあの感動、美しい!気持ちがいい!地図をみているみたい!という感覚が忘れなれない特別な地なのです。

 

第3話 「始まりの木」

伊那谷の大柊は実際にあります。

中央道建設により、大柊は伐採される運命にありましたが人々の願いにより、伐採を免れ現在の中道の中央付近から東へ30メートル移植されました。

いまもなおここに住む小林家のご神木として大切にされており、毎年、小林家一族が集まり、木の無事と一族の安泰を祈ってお祭りを続けています。

日本という国の神との付き合い方が、著者の夏川草介さんがこの地を訪れた時のエピソードと小林家の源氏さんと和子さんの言葉より、古屋と老住職の言葉がよりリアルに感じられました。

 

小説に登場する民俗学者の古屋の言葉

・「神は人の心を灯す灯台だ」もとより灯台が船の航路をきめてくれるわけでもないし、晴れた昼間の航海なら灯台に頼ることもない。しかし海が荒れ、船が傷ついた夜には、そのささやかな灯が、休むべき港の在処を教えてくれる。たとえ目には見えなくても、人とともにあり、人とともに暮らす身近な存在だ。

この神は、人を導くこともあれば、ときに人を迷わせたり、人と争ったり、人を傷つけることさえある。かかる不可思議な神々とともに生きていると感じればこそ、この国の人々は、聖書も十戒もひつようとしないまま、道徳心や倫理観を育んでこられたのだと私は考えている。

・少なくてもこの国の人々は、古代から路傍の巨石や森の大樹をはじめとして、山や滝や海や島や、あらゆるものに手をあわせてきたのである。

・この世界には理屈の通らない不思議な出来事がたくさんある。科学や論理では捉えきれない物事が確かに存在する。そういった事柄を、奇跡という人もいれば運命とと呼ぶ人もいる。超常現象という言葉で説明する者もあれば、「神」と名付ける者もある。名前はなんでもよい。なんでもよいが、目に見えること、理屈の通ることだけが真実ではない。

 

老住職のことば

この国の神様との付き合い方は信じるかどうかは大きな問題じゃない。ただ感じるかどうかなんだ。

大きな岩を見たらありがたいと思って手を合わせる。立派な木を見たら胸を打たれて頭を下げる。滝つぼにうたれるし、海に沈む美しい夕日を見て感動する。誰かが教えたわけでもなく、みんなそうすべきだと感じただけの話さ。

 

東京は立派な町だし、これからももっと大きくなるだろう。けれど、世界はそんなものよりはるかに大きいし世界より‥‥‥‥

ふいに住職は胸に親指を当てて、

心の方もっと大きい

 

日本という国の神との付き合い方が、著者の夏川草介さんが伊那谷の大柊を訪れた時のエピソードと小林家の源氏さんと和子さんのお話から、古屋と老住職の言葉がよりリアルに感じられました。

 

小説丸 上橋菜穂子×夏川草介の対談より

夏川

その家のおじいさんが畑仕事をしながら「俺の家族はみんな、ここにいるんだ」と不思議なことを言い出して。「じゃあ、おじいさんも死んだら、この樹に行くのか」と聞いたら「もちろんだ」と。僕にとってそれは、普通に生活している人から初めて聞いたリアルな『遠野物語』だったという感覚があって。そのわりには樹の下にビールの缶が無造作に捨ててあったりして、神様というより家族のひとりみたいな扱いなのかなと思ったんです。

上橋 

なぜかビールの缶が転がってるというのは、私がフィールドワークをしていた時、よく感じたことでした。物語で描こうとするならば、おじいさんはその樹をいかにも大切にしていて、樹の下にはチリひとつないと描いてしまいそうですが、リアルな現実は違う。100%理屈通りでないのが人間の感覚というものなんでしょうね。

 

朝の学舎・ウェブサイトより

小林源治さん 和子さん 

和子さん 

毎朝お参りしています。今日一日お願いしますとか、お父さんが病院に行ったので無事でありますようにとか…。後ろの方の根だけで頑張っているので、これからも頑張って私たちを見守ってほしいです。

源治さん 

「わしも歳を取ったなあ。だけど、何とか元気でおるで、これからも同じように手入れをつづけてくれよ」と大柊が言っているような気がします。「長生きするよう、頑張りなんよ」と声をかけてあげたいです。

 

夏川草介(なつかわ・そうすけ)
1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒。長野県で地域医療に従事。2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞してデビュー。同作はシリーズで2度映画化されベストセラーに。他の著書に『神様のカルテ 2』『神様のカルテ 3』『神様のカルテ 0』『本を守ろうとする猫の話』。 

 

上橋菜穂子(うえはし・なほこ)
東京都生まれ。1989年『精霊の木』で作家デビュー。川村学園女子大学特任教授。オーストラリアの先住民アボリジニを研究。著書に『精霊の守り人』から始まる「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、『獣の奏者』、本屋大賞を受賞した『鹿の王』など。2014年、国際アンデルセン賞受賞。

新しい視点

ウルトラヒーロー

インターネットから拝借しました。

残念ながら、イベント中の撮影はSNSでの投稿は禁止されていて、その時の様子は画像でお伝え出来ません。

 

1月6日ウルトラヒーロー撮影会に行ってきました。

それは、住宅展示場のイベント。

娘はウルトラマンの大ファン。

前日、たまたまテレビを観ていて知り

おつきあいで出かけることになりました。

 

駐車場の入り口で「見学ですか」と聞かれあいまいに「はあー」と答え

たくさんの展示場をすり抜けて、目的の会場へ

アンケートに記入すると、参加券が渡されます。

小さな会場で壁側一面に撮影用の幕が設置されているだけ。

開始時間が近ずくと、子ども連れの家族、カメラをかかえたマニアっぽい若い女性、男性が集まってきました。30組ほどでしょうか。

集まった子どもたちはウルトラマンの人形を持っていたり、武器を持っていたり・・・

ウルトラ警備隊の服を着たお姉さんが登場してアナウンスが入り、順番にウルトラヒーローが登場。

タイガ・オーブ・ブレーザー・ゼロ・ゼット・ジー

 

それぞれのヒーロー達はみんな力強くかっこいいポーズをとってくれます。

その動きは本格的!出演のウルトラヒーローが勢ぞろいすると圧巻です。

 

子どもたちはアナウンスのお姉さんに従ってポーズの練習、掛け声に集中しています。

いよいよ、ひとりひとりウルトラヒーローとの撮影が始まりました。

カッコイイポーズをきめる男の子、家族で一緒に撮る方、ちょっと緊張している子

みんなキラキラしています。

中には特定のウルトラマンとの撮影を希望する人がいます。そうすると、選ばれたウルトラマンはとてもジェントルマンなポーズをとり、不満な様子をあらわにする他のウルトラマンもいたり、

会場は笑いで満たされます。

撮影が終わるたび、ヒーローたちとタッチをし、みんな手を振ってお別れです。ウルトラヒーローはみんなやさしい!

 

そんな、光景をみていると涙が出てきて、

なんかいいな、子どもの笑顔、家族の笑顔、平和だなって思えたのでした。

 

こんな小さなイベントにも手を抜かず、しっかりプロの仕事をしてくださるウルトラヒーローの方々に尊敬の念を抱き感謝しました。

 

全然興味が無かった世界ですが、ヒーローってすごい!と感動してしまいました。

 

ここで、宇宙規模のヒーローを生み出した円谷英二さんのエピソードをご紹介をしたいと思います。

子どもの頃に夢見たのは飛行機の操縦士

円谷さん当時9歳、東京の代々木錬兵場で飛行機により日本初の公式飛行に成功。これに強く感銘を受けた円谷さんは操縦士にに憧れを持ちました。

15歳、操縦士を夢見て日本飛行学校へ第一期性として入学しますが、学校自体が活動停止となったために退学しました。

その後、紆余曲折を経て撮影の世界に入ることになります。

照明技師の原文良によれば、円谷は子供の側に立ってものを考えていたといい、子供に不安な気持ちを持たせないことを心がけていたといいいます。流血描写を避けていたのも子供に血を見せないためでだそうです。

子供にサインを求められると、自分の名前を図案化した「スキーボーヤ」を描き、大人には「子供に夢を」と書きました。『モスラ』で幼稚園児からファンレターが来た際には、仕事の合間にモスラを作り、プレゼントしています。東北地方で怪獣ファンの児童が交通事故死した際には涙を流し、小さな怪獣を作って仏壇に添えてあげました。

Wikipediaより

 

ウルトラヒーローに想いを解きはなて!

 

 

 

京都 清涼寺・阿弥陀如来座像

神社やお寺は、昔から好きでした。
整然とした静けさと漂う厳かな空気が気持ちよく、
こころが落ち着くのを感じられたからです。

 夫が亡くなってからは、特に仏像のお顔をじっくり拝見するようになりました。
それは、夫は目をつぶっていると仏様のような顔をしているからです。

どこかに、似ているお顔をしている仏像があるのではないかと・・・機会があればお寺に足を運んでいたのです。

 先日、tsuruhime-beat(つるひめ)さんの京都旅行の記事を拝見し、ネットで仏像を検索していて気付いたのです。

仏像の写真集をみればみつけられるかも、と
バカですね。今頃、、、

 昨日図書館で、写真集を数冊借りてきて眺めていると・・・
みつけましたー。

京都清涼寺の阿弥陀如来座像及両脇侍坐像(棲霞寺旧本尊)
ちょっと言うのははばかれますが、なんと
光源氏のモデルだったのです。(嵯峨御堂・松風の巻)

阿弥陀如来座像及両脇侍坐像

寺地 左大臣源融の山荘棲霞観(せいかかん)のあった地で
嵯峨天皇の皇子で左大臣まで昇り、紫式部の描いた源氏物語ともされる源融(みなもとのとおる)は、死後の極楽浄土を願って阿弥陀如来像の造立を願ったが、完成を待たずし亡くなりました。残された子息は清涼寺阿弥陀堂(旧棲霞寺)を建立し念願通り阿弥陀如来座像を本尊としました。その阿弥陀如来は、亡くなる前に源融自らが自分の顔に似せて作らせたと言われ「光源氏写し顔」の伝説をもっています。

後の浄土思想から量産されたものではなく、密教思想に基づいた阿弥陀三尊の作例として貴重な存在です。

面長できりりとした顔立ち、肩広く堂々としたたくましい体つきの阿弥陀如来像。瞑想し精神が安定した禅定を意味する印を結んでいます。

 

つくられた時代背景

平安貴族と阿弥陀如来

平安時代も中頃になると、政治的な停滞から世の中が乱れ始め、不穏な空気が流れ出す。有効な対策を打ち出すことができなかった朝廷を中心とした平安貴族は、末法思想の広がりとともに、死後に極楽浄土へ行けることを強く願うようになりました。そのため来世を導くとされる阿弥陀如来への信仰が急速に高まり、各地で阿弥陀如来堂と阿弥陀如来像が続々と建立された。その象徴が平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像です。

 その後、藤原氏を抑えた白河天皇院政を行い、現実的な対処法として武士を登用しはじめる。その武士が平安貴族にとってかわると自らを修行へと導く「禅」を取り入れる風潮が広がり、宗派が多様化していくことになります。

 まさに平安貴族と阿弥陀如来の建立ブームは、鎌倉時代の到来に歩調を合わせるように時代の波に、沈んでいったのです。

 

仏の世界の階層

仏様というと如来、不道明王帝釈天、菩薩など色々な名前がありますが、これは仏の世界の階級にからくるもので、次のように分かれています。

 

如来(悟りを開いた者という意味) 仏の中で最高位。真理に目覚め、悟りを開いた仏。 一般的に装身具類をつけず、薄い衣一枚をまとい、螺髪(らふつ)という渦を巻いた特徴的な髪形をしています。

 釈迦如来(しゃかにょらい)・・・・・・ 人々をあらゆる苦悩から救って人生の安らぎの道に導いてくれる仏。  もともとは「ゴータマ・シッダールタ」という王子でした

 阿弥陀如来(あみだにょらい)・・・・・ 「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とは  「あぁ、阿弥陀仏さん、どうか極楽浄土へお願いします。」という意味

大日如来(だいにちにょらい)・・・・・・ 太陽の光がどんなところにもあまねく届くように、宇宙全体を統一  する最高の仏。 ※東大寺の大仏は、「盧舎那仏像」(るしゃなぶつぞう)密教では大日如来と同一とされます。

薬師如来(やくしにょらい)・・・・・・ 病気を治したり、心身の健康を守る仏です。薬壺を持っています。

 

「菩薩」(悟りを求める者) 如来になるために修行しているのが「菩薩」。
きらびやかな装飾品を身につけ、髪を結い上げた中性 的な姿。救いを求める人をすぐに助けに行けるように基本的に立ち姿で表されます。 観音菩薩地蔵菩薩、千手観音、如意輪観音、十一面観音などです。

 

明王明王」は修行する者を煩悩から守る仏で、悪をこらしめ、仏の教えに導く役目を持つため、武器を 振りかざし恐ろしい形相で表現されます。背中に火炎を背負い、怒りに燃え盛る焔髪を持ち、上半身は 裸で武器を持っています。明王の中で「孔雀明王」だけが例外的に武器を持たず、慈愛に溢れた顔で表 現される。 「不動明王」「愛染明王」「孔雀明王」「馬頭明王」などです。

 

「天部」 仏法と仏教世界の守護の役割を担っているのが「天部」。もともとは仏教成立以前に民間で信仰され ていたバラモン教ヒンズー教などの神々が仏教に帰依したもので、種類が多く、武将から福の神、 女神までいます。官服を着た貴人姿、鎧を纏った武将姿、鬼の姿など多様な姿で表現されます。 四天王(持国天増長天広目天多聞天)、帝釈天梵天などの他に、大黒天、弁財天などです。

 

ユーチューブで分かりやすく面白い動画をみつけたので、よかったら観てみてください。


www.youtube.com

お寺の正しい参拝方法・手順

● 山門から手水舎まで

山門から手水舎までお寺の入り口には山門があります。山門とは俗世との境を表す門です。
山門の前では、合掌とともに一礼します合掌とは、胸の前で手を合わせる作法のことです。宗派によって形式は異なりますが、お寺で礼拝する際の基本となり、仏様と一体になることを表しています。

手を合わせるときには、音を立ててはいけません。また、山門をくぐるときは敷居を踏まないようにしますさらに女性は右足から、男性は左足からと手水舎では、一礼を捧げてから手と口を清めます。右手に柄杓を持って左手に水をかけたら、右手、口、左手、柄杓の柄の順で心身を清めましょう。この一連の動作を、最初に汲んだ一杯の水で行います。また、口をすすぐ際には柄杓に直接口をつけないよう、左手に水を注いで行います。

常香炉があればお線香を供え、煙を受けて心身を清めます。線香の火は口で吹き消すのではなく、手で風を送って消しましょう。

● 本堂から山門まで

本堂へ着いたら、用意したお賽銭を入れます。投げ入れる方もいますが、仏様へのお参りなので、優しくそっと入れるように心がけましょう。

合掌しながら一礼したら、お願いごとを念じます。その後、再度一礼して、本堂を後にします。

焼香台があれば、焼香を行います。何回するかは宗派によって違いますから、分からない場合は1回だけにしてもかまいません。

お寺を出る際も、山門の前で一礼しましょう。

いうように、性別によって入る足が異なるといわれる場合もあります。

● 神社・お寺の参拝でする合掌の意味

合掌は、仏教発祥の地であるインドから伝わった礼拝方法です。右手は仏様を、左手は衆生(生き物すべて)を表す両手を合わせることで、両者がひとつになり成仏して欲しいという気持ちを表しています。
合掌はその他に、相手に対する尊敬の気持ちを表す際にも用いられます。

 

12月24日、突然、久しぶりに息子が帰ってきました。

ちょっとふくよかになっていました。

夜ごはんを食べると、以前のように床でうたたねをしてしまいました。

その顔をじっとみていると・・・

わが子もまた、仏様のような顔をしていたのです。

 

水辺の風景

11月1日、気が向いたので朝からおさんぽに、
めざすは自宅から1,5㎞ほど先にある、うどう沼公園平日だったので、出勤の方たちがバス停にならんでいて、通りにはたくさんの車が行きかっていました。うどう沼公園は住宅街に在り、大道路に面しています。
釣りを楽しむ人が2,3人いましたが他には人影がなく、静かなひと時を過ごせました。

 

 

 

 

 

 

 

 

11月21日 前に来た時とても気持ちがよかったので、またおとずれてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

捉われない心 ~茶道より~

前回の記事に引き続き、「心理学者の茶道発見」を読んで です。

 

撮影 渞 忠之



hana-tsusin60.hatenablog.com

 

hana-tsusin60.hatenablog.com

 

この本で私がもっとも興味をひかれたのは、主観的自由度と他者受容についてです。

この二つを高く維持することができれば、捉われない心、軽やかで自由な心を獲得することが出来るのではないかと思ったからです。

 

主観的自由度

主観的自由とは

自分ひとりの物の見方、感じ方によって、生き方を選べる自由さである。

人生の選択について、自由を感じ満足をしている人は幸福度が高い。

 

ストレスと主観的自由度

心理学の研究結果で、ストレスに対して主観的自由度が高く能動的な受け止め方受け止め方をする人はストレスの悪影響をあまりうけなくてすむ、ということがわかっている。

 

具体的にいうと、有名な実験がある。

「ブーン」という雑音が鳴り響く部屋で計算問題を解いてもらう。片方の集団には、「その雑音を止めるスイッチはあるが、できれば押さないでください」と伝える。もう片方には伝えない。すると、スイッチをのことを伝えた集団はスイッチを押さなかったにもかかわらず、作業効率が高かったという実験結果がでている。

つまり、嫌なこと、困難な課題でも心の持ち方を工夫して主観的自由度を高くすれば乗り越えやすくなる、ということである。

 

季節の習いで獲得する主観的自由度

茶の湯の稽古はい季節ゆえの習いが多い、それを学ぼう、楽しもうという気構えがあれば本来はストレスとなる暑さ、寒さをかえって尊いものに感じる。

そういう気構えが養われれば、普段の生活でも暑さ、寒さに負けにくくなっていくはずである。

気候に対する、主観的自由度を獲得することになるのである。

 

侘びと主観的自由度

侘びとは不足をたんなる不足と捉えずに、創作の好機と主体的に捉え楽しむ心境である。

侘びの美意識

対照的でひたすら端正な天目や青磁壺を美しいととらえることと非対称でくすんだ和物(わもの)を美しいと捉えることを区別して「侘び」というが、それは「一目みればそこに宿っている美」の意識から「見て、心で切り取り、主体的に見つけなければ見つからない美」の意識である。

いにしえの茶人たちは、茶の湯の技を磨くことで、自分自身の主観的自由度を高く維持する心をみがいていたのではないだろうか。

 

撮影 渞 忠之

 

自己受容と他者受容

自己受容

ありのままの自分の姿を見つめ、ありのままの自分の姿を欠点も含めて受け入れることが自己受容である。

自己受容は訓練で高めることができる。

何か具体的な領域で、本気で努力し、本気で傷つくという経験が必要である。その経験により自己受容を体得することが出来きる。すると、次第に全般的に自己受容のコツがつかめるようになるのである。

その場を提供しているのが茶の湯である。

 

茶の湯と自己受容

茶の湯の稽古は誤りのない点前、粗相のない茶事を目指す訓練である。けれども、点前ひとつ完璧にできることはまれである。客の心の状態を図り、客の心かから離れすぎず囚われすぎず、、主客の心にぴったりとなじむ点前を運ぶのは、容易なことではない。不首尾があったときに、それを正視し自己受容をするのも茶の湯が与えてくれた貴重な訓練ではないだろうか。

自己受容のコツは、不首尾欠点を自分でよく味わう心境になることである。

完全すぎるものには、不均整の楽しみがない。

自己研鑽と自己受容。茶人は古来このふたつを追い求めてきたのである。

 

他者受容

精神的健康の大きな目安は他者受容である。

精神が健康な人は穏やかな楽観に満ち、他者受容が高い。他者受容は自分自身の精神状態のバロメーターになる。

他者のささいな欠点や間違いに心が煩わされるときは、心が疲労しているときである。

自己受容は他者受容の重要な前提である。

他者受容の高い人と接すると、自分ひとりでいるときよりも、自分のことが素直にわかる。歪みなくありのままに受容された自分の姿をその人の態度に感得するするからである。その雰囲気の中に座るだけで、自分の本心がわかり、自己受容がたかまる。

 

茶室は他者受容の場

茶の湯では、茶事で好ましく話題を「我仏、隣の宝、むこ舅、天下の戦、人の良し悪し」と教えている。それは、このような話題が他者受容を損なうからではないだろうか。

一方、「花鳥風月や道具についての話」を清談という。これらの話題は、人間の清い面を引き出し、他者受容を損なわずに時間を共有させてくれる。

茶室では、亭主は花鳥風月の力を借り、取り合わせと点前をつうじて、客に対する自分の態度を表現している。

うまくいった茶事の後味がかけがえもなく軽やかなのは、道具と点前を媒介にして、双方の他者受容、自己受容が自然にひきだされていったからである。

茶事が終わって振り返ると、不思議なほど自分の他者受容が高められていたと自覚することがある。茶室では自分の容量が普段よりゆたかになりえることを知る。これが茶の湯の徳の一つであろう。

 

撮影 渞 忠之

 

いかがでしたか。

茶の湯は知的な遊びをとおして精神を健やかにする場を提供していますが、茶道の精神は私たち日本人には、比較的容易に理解できることなのではないでしょうか。
日常の生活でも、様々な場面において気付きを得、主観的自由度、自己受容と他者受容を高めることで、心の自由を獲得していけるのではないかと思いました。

 

和敬清寂(わけいせいじゃく)

最後に、利休茶の湯の精神をあらわす言葉をご紹介します。

「和」 お互い心を開いて親しくなり、なごやかな状態になること。

「敬」 お互いに敬いあい尊び、自らが慎むということ。

「清」 目に見える清らかさではなく、心の中が清らかなこと。

「寂」 いらないものを捨て去り、どんなときにも動じないこと。