京都 清涼寺・阿弥陀如来座像

神社やお寺は、昔から好きでした。
整然とした静けさと漂う厳かな空気が気持ちよく、
こころが落ち着くのを感じられたからです。

 夫が亡くなってからは、特に仏像のお顔をじっくり拝見するようになりました。
それは、夫は目をつぶっていると仏様のような顔をしているからです。

どこかに、似ているお顔をしている仏像があるのではないかと・・・機会があればお寺に足を運んでいたのです。

 先日、tsuruhime-beat(つるひめ)さんの京都旅行の記事を拝見し、ネットで仏像を検索していて気付いたのです。

仏像の写真集をみればみつけられるかも、と
バカですね。今頃、、、

 昨日図書館で、写真集を数冊借りてきて眺めていると・・・
みつけましたー。

京都清涼寺の阿弥陀如来座像及両脇侍坐像(棲霞寺旧本尊)
ちょっと言うのははばかれますが、なんと
光源氏のモデルだったのです。(嵯峨御堂・松風の巻)

阿弥陀如来座像及両脇侍坐像

寺地 左大臣源融の山荘棲霞観(せいかかん)のあった地で
嵯峨天皇の皇子で左大臣まで昇り、紫式部の描いた源氏物語ともされる源融(みなもとのとおる)は、死後の極楽浄土を願って阿弥陀如来像の造立を願ったが、完成を待たずし亡くなりました。残された子息は清涼寺阿弥陀堂(旧棲霞寺)を建立し念願通り阿弥陀如来座像を本尊としました。その阿弥陀如来は、亡くなる前に源融自らが自分の顔に似せて作らせたと言われ「光源氏写し顔」の伝説をもっています。

後の浄土思想から量産されたものではなく、密教思想に基づいた阿弥陀三尊の作例として貴重な存在です。

面長できりりとした顔立ち、肩広く堂々としたたくましい体つきの阿弥陀如来像。瞑想し精神が安定した禅定を意味する印を結んでいます。

 

つくられた時代背景

平安貴族と阿弥陀如来

平安時代も中頃になると、政治的な停滞から世の中が乱れ始め、不穏な空気が流れ出す。有効な対策を打ち出すことができなかった朝廷を中心とした平安貴族は、末法思想の広がりとともに、死後に極楽浄土へ行けることを強く願うようになりました。そのため来世を導くとされる阿弥陀如来への信仰が急速に高まり、各地で阿弥陀如来堂と阿弥陀如来像が続々と建立された。その象徴が平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像です。

 その後、藤原氏を抑えた白河天皇院政を行い、現実的な対処法として武士を登用しはじめる。その武士が平安貴族にとってかわると自らを修行へと導く「禅」を取り入れる風潮が広がり、宗派が多様化していくことになります。

 まさに平安貴族と阿弥陀如来の建立ブームは、鎌倉時代の到来に歩調を合わせるように時代の波に、沈んでいったのです。

 

仏の世界の階層

仏様というと如来、不道明王帝釈天、菩薩など色々な名前がありますが、これは仏の世界の階級にからくるもので、次のように分かれています。

 

如来(悟りを開いた者という意味) 仏の中で最高位。真理に目覚め、悟りを開いた仏。 一般的に装身具類をつけず、薄い衣一枚をまとい、螺髪(らふつ)という渦を巻いた特徴的な髪形をしています。

 釈迦如来(しゃかにょらい)・・・・・・ 人々をあらゆる苦悩から救って人生の安らぎの道に導いてくれる仏。  もともとは「ゴータマ・シッダールタ」という王子でした

 阿弥陀如来(あみだにょらい)・・・・・ 「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とは  「あぁ、阿弥陀仏さん、どうか極楽浄土へお願いします。」という意味

大日如来(だいにちにょらい)・・・・・・ 太陽の光がどんなところにもあまねく届くように、宇宙全体を統一  する最高の仏。 ※東大寺の大仏は、「盧舎那仏像」(るしゃなぶつぞう)密教では大日如来と同一とされます。

薬師如来(やくしにょらい)・・・・・・ 病気を治したり、心身の健康を守る仏です。薬壺を持っています。

 

「菩薩」(悟りを求める者) 如来になるために修行しているのが「菩薩」。
きらびやかな装飾品を身につけ、髪を結い上げた中性 的な姿。救いを求める人をすぐに助けに行けるように基本的に立ち姿で表されます。 観音菩薩地蔵菩薩、千手観音、如意輪観音、十一面観音などです。

 

明王明王」は修行する者を煩悩から守る仏で、悪をこらしめ、仏の教えに導く役目を持つため、武器を 振りかざし恐ろしい形相で表現されます。背中に火炎を背負い、怒りに燃え盛る焔髪を持ち、上半身は 裸で武器を持っています。明王の中で「孔雀明王」だけが例外的に武器を持たず、慈愛に溢れた顔で表 現される。 「不動明王」「愛染明王」「孔雀明王」「馬頭明王」などです。

 

「天部」 仏法と仏教世界の守護の役割を担っているのが「天部」。もともとは仏教成立以前に民間で信仰され ていたバラモン教ヒンズー教などの神々が仏教に帰依したもので、種類が多く、武将から福の神、 女神までいます。官服を着た貴人姿、鎧を纏った武将姿、鬼の姿など多様な姿で表現されます。 四天王(持国天増長天広目天多聞天)、帝釈天梵天などの他に、大黒天、弁財天などです。

 

ユーチューブで分かりやすく面白い動画をみつけたので、よかったら観てみてください。


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お寺の正しい参拝方法・手順

● 山門から手水舎まで

山門から手水舎までお寺の入り口には山門があります。山門とは俗世との境を表す門です。
山門の前では、合掌とともに一礼します合掌とは、胸の前で手を合わせる作法のことです。宗派によって形式は異なりますが、お寺で礼拝する際の基本となり、仏様と一体になることを表しています。

手を合わせるときには、音を立ててはいけません。また、山門をくぐるときは敷居を踏まないようにしますさらに女性は右足から、男性は左足からと手水舎では、一礼を捧げてから手と口を清めます。右手に柄杓を持って左手に水をかけたら、右手、口、左手、柄杓の柄の順で心身を清めましょう。この一連の動作を、最初に汲んだ一杯の水で行います。また、口をすすぐ際には柄杓に直接口をつけないよう、左手に水を注いで行います。

常香炉があればお線香を供え、煙を受けて心身を清めます。線香の火は口で吹き消すのではなく、手で風を送って消しましょう。

● 本堂から山門まで

本堂へ着いたら、用意したお賽銭を入れます。投げ入れる方もいますが、仏様へのお参りなので、優しくそっと入れるように心がけましょう。

合掌しながら一礼したら、お願いごとを念じます。その後、再度一礼して、本堂を後にします。

焼香台があれば、焼香を行います。何回するかは宗派によって違いますから、分からない場合は1回だけにしてもかまいません。

お寺を出る際も、山門の前で一礼しましょう。

いうように、性別によって入る足が異なるといわれる場合もあります。

● 神社・お寺の参拝でする合掌の意味

合掌は、仏教発祥の地であるインドから伝わった礼拝方法です。右手は仏様を、左手は衆生(生き物すべて)を表す両手を合わせることで、両者がひとつになり成仏して欲しいという気持ちを表しています。
合掌はその他に、相手に対する尊敬の気持ちを表す際にも用いられます。

 

12月24日、突然、久しぶりに息子が帰ってきました。

ちょっとふくよかになっていました。

夜ごはんを食べると、以前のように床でうたたねをしてしまいました。

その顔をじっとみていると・・・

わが子もまた、仏様のような顔をしていたのです。