茶道発見

 

      撮影 渞 忠之

                        

わたしは、義理の母が長年お茶をたしなんでおり、夫と結婚が決まった時に義理の母にお茶をやってくださいと言われたので、当初数年お稽古に通いました。そして夫の実家にいくと、いつも義理の母からお稽古をうけさせられました。

お稽古はたくさんの決まりごとがあり、何をするにも堅苦しくずっと緊張していなければなりませんでした。

はっきりいえば、めんどうくさいのです。

ですが、抹茶の色、趣あるお道具、楚々とした茶花、湯を沸かす窯から立ち上る湯気、お香の香り等は魅惑的でもありました。

学生時代からお茶のお稽古に通っている友人がおりましたが、その方は、「私はお茶ではなくて、茶道をやりたいの」と言っていました。わたしは、口にはだしませんでしたが、ちんぷんかんぷんで「なにを言っているの?意味がわかなない」という感じでした。

 

現在は、すっかりお茶から遠ざかっておりますが、、、
先日、恩田陸さんの著書「なんとかしなくちゃ。星雲編」を読みました。
主人公を含むきょうだい3人は小学生のころからお茶を習うことになっています。
習いたてのある日、主人公はお茶の先生に、なぜ一度に道具を運ばないのか?とたずねます。よくぞ言ったと私は思いました。
お茶の作法は細かく決まっており、それを間違えずに行うには、何年もかかります。なぜ、こんなことをするのか?合理的じゃないと思うのは誰もが感じるのではないでしょうか。わたしもそう感じていました。
すると先生は微笑んで「お茶は時間を一緒にいただいているからです」とこたえるのです。わたしはそんな先生の言葉に感動しました。
兄弟3人は成人したときには自分が亭主となり、父母、祖父母を招いてお茶会を催さなければならないことになっていました。それぞれ3人のお茶会は道具を媒介として亭主の表現の場でもありました。個性が十分に発揮されていて、とても面白いと思いました。

そして茶道とはどんな意味があるのか深くしりたくなりました。

 

       薄茶          日本の美 茶の美より

 

茶道の基礎知識

「茶道」とは、簡単に云えば日本の伝統的な様式に則り、亭主が客人にお茶を点(た)て振舞い、客人は亭主のおもてなしを受け、お茶をいただくことを言い、「茶の湯」とも言われます。

 

作法

しかし、「茶道」では、お茶の点(た)て方(点前)、いただき方、座り方、礼(お辞儀)の仕方、立ち方、歩き方の動作にも色々な決まりがあるのです。これを作法といいます。

これが大変で、間違えずに一連の流れを滞りなく行うには私には至難の技で、精神的なことには及ばないのです。

 

お点前(てまえ)

亭主(茶事の際、会を催すための中心になる人)がお客の前でお茶を点(た)てる、この作法全般をお点前といいます。

 

わび・さび

「侘び」とは、飾りやおごりのない、ひっそりとした枯れた味わいのこと。

「寂び」は、古びて趣のあること

つまり、「わび・さび」とは、粗末で寂しい様子や古びたり色褪せたりしたものをネガティブに捉えずに、そのふうあいやたたずまいに美しさを見出す繊細な感性。

この「わび、さび」の精神を大切にし、茶室という静かな空間でお茶を点てることに集中することで、心を落ち着かせます。そのことによって自分自身を見直し、精神を高めていくという精神文化も確立されていきました。

「茶道」は単にお茶を客人に振舞い、お茶をいただくだけではなく、亭主と客人との精神的な交流を重んじる精神性や思考、そのための茶室や庭、茶室のしつらえ、茶道具の選別や鑑賞、振舞われる料理や手前作法など茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされます。

また、客人をもてなす茶道の精神は、現代の日本人のおもてなしの精神にも通じています。
おもてなしの心に触れながら、お茶を楽しむことが、茶道では大切です。

以上で、茶道における概念の説明を終わりにしたいと思います。

次回は、心理学の観点から茶道とはなにかをさぐっていきます。

 

   干菓子      日本の美 茶の美より

 

 

余談になりますが、みなさん抹茶アイスはおすきでしょうか。
なかなか美味しい抹茶アイスにめぐりあいませんよね。
お手軽⁉でもありませんが、明治のスーパーカップバニラに抹茶を混ぜると
自分で好みの濃さにもでき、とてもおいしいです。

おためしあれー。