宮沢賢治とともに

以前、宮沢賢治の童話を記事にしたことがありますが、

心象風景のすばらしさ、おもしろさに寄せて紹介させていただきました。

 

今回は「八ヶ岳の空から」著 大村紘一郎から賢治の童話の解釈の部分をとりあげてご紹介します。

 

 

私は宮沢賢治のお話は、何が云いたいんだろう、かわいそうすぎるという作品もあり、若い頃は難しくてよくわからないと感じていました。理屈で考えるよりもまずは楽しめれば良いのですが、私のように思考から入ってしまうようなひとは賢治の思いを理解してから作品を読むとすんなり賢治の世界にひたれるのではないでしょうか。

賢治の童話には、この世界に生きるものたち全てに愛が注がれていると感じます。複雑な現代社会に生きる私たちに『本当のしあわせとは何か』をかたりかけてくる賢治の世界にふれるきっかけとなってくれるとうれしいです。

宮沢賢治と保坂嘉内

保坂嘉内は賢治の」無二の親友です。

嘉内は1896年(明治29年)、八ヶ岳を望む山梨県北巨摩(こま)郡駒井村(現韮崎(にらさき)市)に生まれ、1916年賢治のいた盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に入学し、賢治と寮で同室となりました。

そこで、賢治と嘉内は八ヶ岳周辺の風や星のこと、将来の進路、理想の生き方などを語り合ったと思われます。二人とも石川啄木に憧れて詩を愛します。

県下最高峰の岩手山は賢治が生涯愛した山です。賢治は郷土岩手地方の空気や風邪や匂いや光や色彩を創作の原動力として、賢治の心の中のドリームランドとしての岩手県を描いたのです。

 

岩手山

 

ふるさとの

山に向かいて

言うことなし

ふるさとの山は

ありがたきかな

   ー石川啄木

 

しかし、賢治の心は世界全体のしあわせのことや、宇宙の生命のことにも配られていきます。

そして、あるとき、賢治の心は大循環の風を従えて八ヶ岳にやってきたのです。

 

 

嘉内は郷里でハレー彗星を観察した1910年のスケッチを宮沢に見せ、彗星はまるで銀河を横切る夜行列車のようだったと説明したといいます。

 

風の又三郎

どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいくゎりんもふきとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 

ある風の強い日、嘉助の通う谷川の岸の小さな小学校に不思議な少年、三郎が転校してきます。三郎は地元の子どもたちに、風の神の子である『風の又三郎』ではないかと思われます。

 

このおはなしは、賢治が嘉内から聞いた八ヶ岳の強風のはなしから創作したものと思われます。

八ヶ岳には、風の神が住んでいるという信仰が古くからあり、その風の名が風の三郎といいます。

八ヶ岳山麓には「風の三郎社」という神社が大事にされています。

 

どんぐりと山猫

誰が一番偉いのかをどんぐりたちが争う裁判の中で、人間である一郎少年は「そんならかう言いわたしたらいいでせう。このなかで一番ばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないやうなのが、えらいとね」

 

様々な解釈がありますが、他人と比較することの愚かさを賢治が訴えているように思います。

賢治がこの童話で語ろうとする思いの先には、お互いが理解し認め合い、憎まないでもよい敵を殺さないですむような世界があるのです。暴力と報復による「憎しみ」や「悲しみ」の鎖を断ち切る強さと優しさを持ちなさいと、今日の紛争の絶えない世界へ警告しているようなきがするのです。

 

猫の事務所

猫の事務所では、みんなに意地悪をされている窯猫が働いています。
窯猫とは、寒さに弱くて夜かまどの中に入って眠るため、からだが煤で汚れている猫です。いじめに苦しむ中で窯猫はあたりまえの猫になろうと努力しますが、無理なことがわかると「やっぱり僕がわるいんだ。しかたないなあ」とかんがえてしまします。

窯猫はかあいさうです。そして、さいごにはほかの猫たちのことも、みんなあはれ、かあいそうと結んでいます。

窯猫のように、自分では責任の負えないことで仲間外れにされたり、いじめられたりするのです。

また、いじめる側に立たなければ自分が不利になると思わせるような社会の仕組みの中では、差別し、いじめる方もあはれに思えてくるのです。

 

注文の多い料理店 よだかの星

動物たちの殺生を何とも思わない、うわべだけは気取っていてなにもできないおくびょうな都会の紳士がとうじょうします。たわむれに生命を奪おうというするものの愚かさその報いを描いているのです。

 

よだかは自分の醜さによっていじめられます。そのことも悲しいのですが、よだかはさらにもうひとつの悲しみをあじわいます。

鷹に殺されそうになったよだかは、自分が羽虫やかぶと虫を食べて(殺して)いるのに気が付き、つらい思いをするのです。

ほかの生物を食べずにはいられない、その悲しみを感じるからこそ、生命の尊厳に向き合うことができるのだと考えます。

 

人と人とが、そして人と自然とがバランス良く関係しあっていて、ひとり一匹が個として自由にいきていける、多様でありながらもほかの存在を尊重していくという社会を心の中に描いています。

人間中心の開発は地球の持つ自然の摂理を犯す行為だと思うからです。

 

永訣の朝

賢治の二歳年下の妹トシは二十四歳でなくなります。賢治の良き理解者でした。そして、他者への献身の姿勢を示した人でした。

トシは病床の中で、賢治に「あめゆじとてきてけんじゃ(雨雪をとってきてください)」と頼みます。

これを賢治は、妹が最後に自分に依頼することで悲しさを軽くしてくれたととらえます。

トシはみぞれを兄に取ってきてもらって食べ、添えられた松のはりではげしく頬を刺し、「ああいいい さっぱりした まるで林のながさきたよだ」と喜ぶのです。

そして賢治は「どうかこれが天上のアイスクリームになって、おまえとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」と決意しました。

妹との永訣はすべてのひとへの思いとなって広げられていくのです。

 

オツベルと象

悪辣な地主であるオツベルは気の良い白象をこき使い、物語の最後に象たちに踏み殺されるおはなしです。そして白象は「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ」とさびしく笑ってそう云ったのです。

 

人間社会ではオツベルのように他人の労働の成果を不当に搾り取るという仕組みが堂々とまかり通っています。

宮沢賢治は、そのありとあらゆる状況の中で、《本当のしあわせとは》を追求する道を私たちに示してくれるように思うのです。