宮沢賢治ワールド初心者におすすめ
賢治の物語の世界にいっしょに旅たちませんか。
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双子の星
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月夜のでんしんばしら
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賢治の言葉
双子の星
やさしい双子のチュンセとポウセのものがたりです。
<原文抜粋>
天の川の西の岸にすぎなの胞子ほどの小さな二つの星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星さまの住んでいる小さな水晶の御宮です。
このすきとおる二つの御宮は、まっすぐに向かい合っています。夜は二人とも、きっとお宮に帰って、きちんと座り、空の星めぐりの歌に合わせて、一晩銀笛を吹くのです。それがこの双子のお星さまの役目でした。
そんな二人におこった二つのお話です。
「ポウセさん、もういいでしょう。東の空はまるで白く燃えているようですし、下では小さな鳥なんかもう目をさましている様子です。今日は西の野原の泉へいきませんか。そして、風車で霧をこしらえて、小さな虹を飛ばして遊ぼうではありませんか。」
<感想>
お話の内容はさることながら、読み始めてすぐにとても可愛らしい双子の星と天空の世界にひきこまれてしまいます。率直でかざらない言葉で表される文章は、清らかさと透明感を感じます。読後には異世界をめぐってきて帰ってきたような…ほーっとため息が出てしまいました。
今日も星めぐりの歌がはじまり、二人はお宮にのぼり、向き合ってきちんと座り銀笛を吹いているのでしょう。
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あおいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたい
つゆとしもとをおとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊の額のうえはそらのめぐりの めあて
チュンセとポーセの手紙
賢治は妹トシが亡くなった後に手紙を書いています。ここではチュンセとポーセは花巻あたりに住む兄と妹の兄妹になっています。
「どなたか、ポーセがほんとうにどうなったか、知っているかたはありませんか。チュンセがさっぱりごはんもたべないで毎日考えてばかりいるのです。…」
月夜のでんしんばしら
<あらすじ>
ある夜、恭一少年は鉄道線路の横を歩いていた。すると彼は信じられない光景に出くわす。「ドッテテ、ドッテテ、ドッテテド」というリズミカルな歌が聞こえたきたかと思うと、線路に沿って立つ何千本と並ぶ電信柱が一斉に行進を始めたのだ。様々な姿形の電信柱が通り過ぎる中、やがて彼らに号令をかける老人が歩いてくる。それは「電気総長」と名乗る人物だった。
原文抜粋
九日の月がそらにかかっていました。そしてうろこ雲が空いっぱいでした。うろこ雲はみんな、もう月のひかりがはらわたのそこまでもしみとおってよろよろするというふうでした。その雲のすきまからときどき冷たい星がぴっかりぴっかり顔をだしました。
そんな夜に恭一少年は独りで鉄道線路の横をあるいていました。すると突然、シグナル柱の横木をがたんとななめしたにさげると、瀬戸物のエボレットを飾り、てっぺんにはりがねの槍をつけ、亜鉛のしゃっぽをかぶったでんしんばしらの列がおおいばりでいっぺんに北のほうへ歩きだしました。
ドッテテドッテテ、ドッテテド、
でんしんばしらのぐんたいははやさせかいにたぐいなし
ドッテテドッテテ、ドッテテド、
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし
軍歌をうたってすすんで北のほうへすすんでいきます。
恭一がぼんやりそのこうしんをみていると、こんどはぼろぼろの鼠いろの外套を着て、せいの低い顔の黄いろなじいさんがあらわれました。そのじいさんと握手をすると、じいさんの眼だまから虎のように青い火花がぱちぱちっとでたとおもうと、きょういちはからだがびりりっとしてあぶなくうしろへ倒れそうになりました。じいさんは電気総長となのり恭一に電気にまつわるはなしを聞かせます。
そうこうしているうちに汽車が近づいてきて、じいさんの「全軍、かたまれい、おいっ。」の号令がかかりでんしんばしらはみんな、ぴったりとまって、すっかりふだんのとおりになりました。
汽車がごうっとやってきました。汽かん車の石炭はまっ赤ににもえているのに、客車の窓がみんなまっくらでした。するとじいさんは「おや、電灯がきえてるな。こいつはしまった。けしからん」。と走っている列車の下へもぐりこみました。「危ない。」と恭一がとめようとしたとき、客車の窓がぱっとあかるくなって、一人の小さな子がてをあげて「あかるくなった、わあい。」と叫んでいきました。
でんしんばしらはしずかにいなり、シグナルはがたりとあがって、月はまたうろこ雲のなかにはいりました。
<解釈・感想>
テレビの子供向け番組で動画を見た時は、ドッテテドッテテ、ドッテテド…というリズミカルな軍歌が何度もでてきて、電信柱の行進している場面が印象に残りました。今回あらためて読んでみると、風景や色や音を使った描写があまりにも素晴らしく、宮沢賢治のことばを皆さんに届けたかったので、原文をそのまま抜粋している部分が多くなりました。
序章で月・うろこ雲の情景が美しく空気が澄んだ秋の夜空が広がっています。シグナルの腕木がガタンとさがり進行という合図とともに電信柱の行進がはじまり、電信柱のドッテテドッテテ、ドッテテドという軍歌はリズミカルで身体にひびくような音の表現でした。電気総長の場面では、鼠色・黄色・青・まっ赤といった色彩と、びりり・ごうっという音が感覚に訴えてきてとても楽しいものになっています。そして、シグナルの腕木がガタリと上がり停止という合図で終わりを迎えます。最後は月がうろこ雲にかくれ静かな夜の情景が広がりおはなしは終わります。
情景と音と色彩がみごとに織り込まれ、そしてそんな流れが読み手の私たちのこころを自然にはこんでいき、読後は自分が経験したかのような錯覚さえおぼえます。
電気総長のエピソードは電気・通信の新しい文化が始まろうとする時期を反映しています。電信柱の軍隊行進は執筆当時のシベリア出兵との関連が指摘されています。
本線の鉄道信号機で金でできた男性のシグナルと軽便鉄道(現在の釜石線)の木でできたシグナレスとの切ない恋の物語です。シグナルを若様と呼び後見人と名乗る電信柱はこの身分違いの恋を快く思っていません。ある日この電信柱をひどく怒らせると四方に電報を打ち、みんなから反対の確約を取ります。そのいきさつを見ていた親切な倉庫の屋根はふたりを気の毒に思い、一緒に「アルファ―」「ピーター」「ガンマ―」「デルター」ととなえ不思議な世界へ送り出します。
このおはなしは賢治が居住していた岩手県花巻市の花巻駅にはこのふたつの路線が乗り入れており、そこから着想を得た、と言われています。
<感想>
この作品では、列車の歌「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ…」・シグナル附きの電信柱の歌「ゴゴン、ゴーゴー…」・目をパチパチ・べちゃべちゃ云う・チラチラチラチラ雪が降る・お月さまがガプンと山へお入りになってあたりがポカっとうすぐらくなった等のオノマトペがゆかいです。
シグナルとシグナレスの会話はとても初々しく、シグナルがシグナレスに星の婚約指輪を受け取って下さい。という場面はとてもロマンティックでした。
どの作品もあらゆる感覚を刺激され、
じぶんひとりではたどり着けない世界へ、物語を通してつれていってもらいました。
賢治の言葉 ~総評に替えて~ |
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのぞむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものがいちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしゃ)や、ほうせきいりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたしはそのとおり書いたままです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになることもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらの小さなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。